E-memo

気になったニュースのメモ。気が向いた時の雑記。

Facebookの広くて閉じた世界(1)

プライベート利用に思う

-気が進まない理由

もうずっと会っていない友達、疎遠になった知人、同僚。
そんな過去のつながりを、インターネットという網で引き寄せてくれるツール

家族・親戚間の情報共有の場。

学校の友達とのやりとり。

仕事場や取引先との、若干無理のある「友達」。
(仲の良い同僚、仲間もいるけれど)

好きな企業の、お店の、アーティストの、商品の、メディアの、フォロー。
フィードされてくる情報。

どんな風に使っている人が多いのだろう。

確かに、仲が良かった懐かしい人の近況が知ることができたら、うれしいかもしれない。
手紙やメールを送りたくても、アドレスを知らなければ連絡は取れない。
そう、特に同窓会や同期会のメンバーを探すのには便利。
グループを作成して、決定事項を告知したり、開催した時の写真を投稿すれば、その場に来れなかった人も楽しいと思う。
...でも、Facebookでしか連絡がとれない、っていうのがよくわからない。
同じように、LINEでしか、っていうのも聞く。
というよりも、他の手段で連絡する気はない、ということか。

私は、会社用にアカウントをもっているけれど、ほとんど社内利用のみ。
そして、本名では登録していない。

実名登録については、先日、抗議の書簡を送られたことが記事になった。
 → http://wired.jp/2015/10/08/facebook-real-name-policy/
これは、企業の方針もあるだろうし、使いたくなければ使わなければいい。
本名登録にするかどうかは、本人次第だ。
そう考えるのは自分勝手すぎるだろうか。

私がアカウントを作らない理由はいくつかあるけれど、断りたいけど断れないという「シガラミ」はいやだな、というのは大きい。
アカウントを持っていないと知ると、「登録するべき」と(ちょっと偉そうに)強要してくる人がいて、いや。
取引先の担当者を検索して、いろいろ情報を見る、という行為があるのも、いや。
こそこそ見ている感じが、怖い。
このこまごました「嫌だな」という気持ちが、便利で簡単に連絡の取れるツールとしての価値を上回ってしまっている。
それに、無防備な情報公開を目にすると、ヒヤヒヤする。
そんな風に思うのは少数派、というよりも、気にしない人が利用しているのだろう。
門扉と垣根のある文化に親しんだ私は、オープンすぎるのに抵抗がある。
古いタイプなのかもしれない。
もちろん、公開情報に気をつけ、仲間内の連絡用にだけ使っている人もいる。
私もいつか、そうやって使うかもしれない。

-気になっていること

こんな私が言うのもなんだが、すごく気になっていることがある。

Facebookで友達&知人がシェアして、「いいね!」した投稿がフィードされて、そうやって目についた記事を読むことが多いのだと思う。
シェアの際にコメントをつけたり、そのシェア投稿にコメントをしたり。
それに、共感する人、内容を鵜呑みにしちゃう人、多くない?

同じ業界の、関係者だけの、中で回っている情報。

で、その回ってくる情報や記事の真偽も確認せず、疑わず、信じる。
ワイドショーの方が、ちゃんと解説している場合もあるんだよ。
でも、そういう番組のことを馬鹿にしているのかもしれない。
本当に事実?っていうの、気にならないんだろうなー。
仲良しの「友達」がシェアしてるし、いいね!してるし。
有名人・著名人・芸能人が言っている、っていう場合もあるかも。
ちょっと感動的な話・驚くようなこと・人権問題・動物愛護・弾圧・戦争~だいたいそんな記事にはすぐ反応。
いろんなことに、簡単に釣られちゃってる。

友達と話していてそう感じると、何とも言えなくなる。
あー...( ´Д` ) ← こういう気持ちである。

ちょっと外の情報に触れてみてもいいんじゃないかな。
中の世界に安心感あるのはわかるんだけど。